summer of 21



二人が出会ったのは彼が死ぬためだったのだと思う。

 

出会いだって死の瀬戸際のような事故だった。

遊ぶ約束をしていた友人に彼女が出来て、アレクシは手持ち無沙汰になる。そこで友人のボートを借りて海に出るのだが、急な雨雲に波は激しさを増し、ボートが転落してしまう。助けを呼んでも陸岸に声が届く距離じゃない。そんな時に颯爽とボートで現れたのが彼、デヴィッドだった。

まるで王子様みたいな登場だ。

 

デヴィッドは遭難したアレクシを家に招き、風呂に入れ、洋服を貸し軽食を食べさせる。厚い介抱も、「一目見たとき恋に落ちた」と言う言葉が本当なら納得だ。

チョコレートケーキと黄色いリンゴのキッチンで、アレクシはデヴィッドの父親が亡くなっていることを聞いた。

 

多分、アレクシはこの時デヴィッドにどうしようもなく惹かれたのだと思う。

 

映画はアレクシの現在と、アレクシの語り部による回想シーンが交互に流れて進んでいく。

だから私達はアレクシに見えているデヴィッドしか知らない。

それなのに、彼の発する理想の親友、という言葉と、映像で描かれるデヴィッドには凄く矛盾があるように感じた。

デヴィッドは酷いくらいに優しくて、傲慢で、自分勝手に人を振り回す。私がアレクシの友達だったら、絶対そんな男やめなよって言ってる。

でもその、強気と弱気とか、パーソナルスペースの広さとか、色んな所がちぐはぐだから親友以上の仲になって、ちぐはぐだったからすれ違ってしまったんだろうな。よく相性の良さをパズルのピースで表したりするけれど、二人はピッタリなんかじゃなくて、合わさったときの隙間をどうにか埋めようとしてたように見えた。

 

ちぐはぐな二人だけど、死に特別な思いを抱いていることだけは一緒だった。

 

アレクシはどうしようもなく死に惹かれている。それは直接的に死にたいということじゃなくて、それこそ恋焦がれているような感情だ。

デヴィッドは父親の、愛する人の死を体験して、漠然と自分も死にたいと思っていたように見えた。それでデヴィッドは、自分の死に値するほどの、死ぬための人間を無意識に探していたのかもしれない。

そんな二人が恋に落ちるのは、ありきたりな言葉だけど偶然で必然だよね。

 

だから本当に恋をしていたのはデヴィッドの方だったのかな、とも思う。

アレクシは彼の顔と体と、その器に宿る危なかしい希死念慮を愛してたけど、デヴィッドはコイツならおれの墓の上で踊ってくれるだろうって、そのために死ねるって、そうやってアレクシへの愛を自覚しバイクで走り出した。本気で喧嘩をする二人は凄く痛々しかったし、嫉妬と怒りをぶつけられたあとの弁明も正直クズかよ?!と思ったけど、アレクシが出ていったあとの放心した姿が本当の恋焦がれる姿に見えた。

結果として命を落としてしまったのが意図的だったのかどうかわからないけど、6週間という人生における刹那的な時間が輝くことになった。

 

デヴィッドの魅力のひとつだが、デヴィッドは自分が死んだあとに残される人のことなんてこれっぽっちも考えてない。自分が父親が死んであれだけ悲しんだのに勝手に生き急いでいる。自分勝手で、それに振り回される周りを当たり前だと思ってる。

全部ただただ自分の感想だけど、少しだけ、デヴィッドから見たアレクシが知りたかったなと思う。

 

大人はきっとこの恋を若気の至りって呼ぶんだろう。もしかしたら大人になったアレクシや天国のデヴィッドもそう思ってるかもしれない。

でも彼らはこの時の自分の人生使ってまるごと恋してたと思う。将来のこととか亡くなった父親のこととか、大人が甘く見てる以上に悩んで自分の中で消化してた。素敵だった。ちゃんと頑張って向き合おうともがいてた。

 

身を滅ぼすほどの恋を、人生で一度はした方がいいだなんてことは言わない。けど結局人間というのは再生する生き物なのだ。心の傷も体の傷も。だから思いきり恋に飛び込んで溺れるのも悪くないのかもしれない、と思った。

 


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